ご案内
午後9時40分頃、消防団に捜索を依頼することを決めて、消防団長と電話でこれからの動きの相談をしていた時、電話が鳴りました。
署からの連絡でした。
間一髪で消防団の出動は避けられました。
発見された場所は、私たちが予想していた所からは大きくはずれていました。
Aさんは、歩いている途中で何回も転倒したのか、左の手にケガをしていました。
「お帰り」。
思わず出た言葉は、こんな単純なものでした。
勤の寮母さんたちからも、「寒くないか、えらくないか」と、Aさんの体調を心配するような言葉しか出ません。
あとでわかったことなのですが、さすがAさんだなと感心したのは、みぞれをしのぐために、どこかの工事現場からヘルメットを拝借してかぶっていたことでした。
警察から渡された黄色いヘルメットには、しっかりS建設と名前が入っていました。
これをかぶって暗い夜道を歩いているAさんを想像すると、妙に滑稽で、警官も思わず苦笑いという感じでした。
面会者の人たちに混じって玄関から脱走するのを見ると、薬の効き目はあまりなさそうでした。
Aさんの生活に少しずつ変化が見られるようになってきたのでした。
他人の物と自分の物の区別が薄れて、他人の食事まで食べてしまう。
食欲が異常にあって、残飯バケツにまで手を入れて食べようとする。
他人の居室に入り、衣服やお菓子などを自分の部屋に持ち帰って隠す。
タバコの要求が頻繁になり、拒否すると手を上げる。
手にするものカ吋可かわからなくなって、オイラックスをなめ、タバコと間違えて赤いマジックやボールベンを口にくわえて「火をつけてくれ」と言う。
そんなふうに痴呆症状が進行したのでした。
保健婦として働いて、気がつけば15年。
いまだに、保健婦の仕事って何だろうと悩んだりしています。
地域(私は在宅という言葉より地域という言葉のほうが好きです)のなかで暮らして仕事をさせてもらっていると、いろいろな人と出会います。
昨日、スーパーマーケットで出会ったおばさんが、今日はお家のベッドの横で、おばあちゃんを介護している相談者になったりすることも決して珍しいことではないのです。
地域のなかでは何でもありです。
だから、病気や障害や年齢でいろいろ区切って、保健事業を展開していくのがとても滑稽でおかしくて、地域の人のニーズに合わないということを経験しています。
は、赤ちゃんからお年寄りまでの相談や訪問、健康教室やはたまた遊びリテーションの依頼までと何でもありで、“生きた仕事"をさせていただいていることを実感します。
デイケア(老人保健事業のA型機能訓練事業)についての説明が必要です(1999年は委託事業に、その翌年は介護保険の関係もありB型が主になりました)。
私が就職した当時、信州新町には「デイサーピスセンター」は開設されておらず、リハビリデイケアに多くの人が参加してくださいました。
ここには、いわゆる虚弱なお年寄り、脳卒中後遺症、リウマチ、アミロイドージス、パーキンソン病、脳性小児マヒ、時には信じがたいことに20歳代の参加者までいました。
1986年7月に始まったリハビリデイケアでは、10月には係長以下、事務職の国保担当者や老人保健事業担当者まで総動員で、送迎までやっていたのです。
すでに、車イスの数は、この時5台くらいでした。
1999年の3月には15台以上になっていました。
なんと、1991年にはこのリハビリを実施するために専用のリフトパスまで町で購入してもらっていたのです。
リフトパスの補助金申請の書類を、担当者の関崎さんと一緒に作ったことを思い出します。
前年までは、リフトパスはマイクロパス型のものしか対象になりませんでしたが、関崎さんが「マイクロパス等」と書いてあるのを見つけて、この「等」にすべての思いを託しました。
おかげでこの近所の自治体では最初に、ワゴン車タイプのリフトパスを購入したことになります。
これで町中のどんな細い道でも飛び回りました。
関崎さんばかりではなく、他の職員もよく助けてくれました。
送迎はもちろんですが、時には忘年会の出し物やら、遠足の介助やら、何でもやってもらいました。
多くの公的デイサービスセンターでは「呆け・寝たきりお断り」というところもあったようですが、信州新町のリハビリデイケアは、障害も、年齢もあまり区別しない良さがありました。
当時、私と一緒にと言うよりは、私を指導してくれた塩入保健婦、西沢保健婦もここに暮らし、生活者としての感覚が強かったのか何でも受けてくれて、その姿を見て、私はいつも彼女たちを追いかけていたように思います。
リフトパスが入ったあと私は、1年7カ月の療休・産休・育休に入りました。
長い休暇の後の職場復帰は浦島太郎状態でした。
久しぶりに参加したリハビリデイケアは、身体的(明らかに外から見て分かる人。
例えば、車イス、歩行器なども使ったりして)に障害などがある人ばかりではなく、虚弱より元気(? )に見える人もチラホラ。
でも、まだみんな一緒です。
脳卒中も、難病も、若年障害者も。
このメンバーと一緒に長野市や、白馬村にショッピングには行く、ブドウ狩りには行く、温泉に演芸を見に行く、町内の買い物ツアー(? )でお茶を入れてもらってごちそうになる、お花見は毎年、なんでもありのリハピリデイケアでした。
訪問だけでは元気にならない人が、リハビリとセットでケアすると、どんどん元気になっていきました。
それもどんどんおしゃれになったり、笑顔が出たり、評価(? )するのが難しいことで(評価なのでいらないですよね)。
大変な理由は、まず自室に閉じこもってなかなか出てこない。
閉じこもっていて、突然俳個が始まり、ついでにお風呂も嫌いとなると、訪問でいったい何ができるのだろうかと不安がいっぱいでした。
保健婦の初回訪問は、「当たって砕けろ!」が、実に多いのです。
だいたいどんな相談でも、あれが大変だからとか、これができないから困っている、というものがほとんどです。
決して、「うちのおばあちゃん、00歳だけど、とっても元気で、00が上手だから、見に来てね!」なんて相談はひとつもないのです。
数少ない情報で何とかしようなんて、無理ですよね。
何か聞いてこよう(業界ではアセスメントと言います)なんて思っても、実際にはあいさつだけがやっとだったなんて、笑うに笑えない、おとぼけ訪問もあります。
いくら状態を聞いて、見て、確認したところで何の解決も見つけられないこともあります。
このKさん、私の初回訪問前にケース検討をして、とにかく、介護者(お嫁さん)のストレスも受け止め、「閉じこもりが続くとよくないから、リハビリデイケアに誘おう!」を訪問でやってみようということになりました。
余談ですが、私たちは「ケース」と言っていますが、お医者さんや看護婦さんは「患者さん」と言っています。
近頃のトレンドは「患者様」らしいのですが、何かヘンだと思います。
ケース検討もるのではと思います。
さあ、次の目、訪問です。
いざ、お宅へうかがってみると、お嫁さんの大変な話が続きます。
「お風日に入らないのです。
部屋に閉じこもっていて、なかなか一緒にご飯を食べたがらないのです。
親せきや、近所の人がいろいろ言うのです」。
とにかく、ずっと訴えは続きます。
涙ながらのお嫁さんの訴えです。
それに対してメモも取れずに、ただうなずいているだけでした。
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